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源平合戦は現・株式会社コーエーテクモゲームスの商品です。
 トップメニュー>プレイレポート>シナリオ3 彦島からの返り咲き
 
 

 ゲーム中でも難しい部類に入る条件です。何度試みても頼朝に圧倒されて滅ぼされてしまう結果に終わってしまいました。しかし視点を変えることで活路を見出すことができました。

 ◎プレイレポート終了条件 ①京の制圧。
②頼朝主力軍を撃破。
③全国の二分の一を統一

■頼朝和睦 1184年10月~1188年12月

 直接戦闘は無謀ということで考え出したのは、頼朝と友好関係を築き、その間に体制を立て直すというものでした。滅ぼすだけのこのゲームではあまり使うことのないコマンドでしたので見落としてました。取り敢えずこれを試してみることから始めてみました。
 義仲めが滅んだのは良いが、今度は頼朝が京を牛耳ってしまった。しかも弟の範頼が軍を率いて長門に迫っておる。我々の拠点、彦島もいよいよ危いか。今後はどうすれば良いか。
 我々の大半は官位を剥奪され動員兵の確保もままならない状態。直接戦闘は無謀です。無念ですが一旦は和睦して勢力の立て直しを図るのが良いかと思われますが。
 かつては奴を圧倒していたのに和睦とは無念です。しかし、ここはそれが上策かと。ただ、頼朝が我々と和睦するとは思えませぬが。
 何度か使者を送り、理解してもらうしかないでしょう。いずれは戦う相手だと頼朝は分かっているはずですし。仮に和睦が成立しても奴は法外な金品を要求してくるでしょう。それを収められるだけの収入も必要となります。
 和睦と同時に四国・九州の独立勢力を滅ぼしましょう。加えて朝廷との関係の修復。在野武将の登用も行いましょう。

 開始直後から内政・軍事をしながら、勇名の高い武将を動員して頼朝との関係を修復し始めました。ただこれがすんなりといかず何度も拒否をされてすんなりとまとまりません。ご意見番の大江広元が目障りな助言をするせいでしょうか。頼朝との関係を盤石にしつつ、朝廷との関係も修復していきました。とにかくお金がかかる。平氏のコマンドを見ると財力を蓄えやすいものが多いですが、今回これが非常に役立ちました。 

 友好関係を結ぶと敵領内を軍団が進めることを知りました。頼朝がしれーっと九州に軍を進め、独立勢力を滅ぼそうとしていたので先に攻め滅ぼしておきました。緒方氏、菊池氏はそれほど強くなかったので簡単に滅ぼすことができました。在野から登用した宗像氏国がかなり役立っております。 

 一年足らずでここまで制圧することができました。頼朝との関係がすぐに崩れてしまうので、その都度金品を送り友好関係を保つ必要がありました。意外とお金がかかるので商業奨励コマンド、かむろコマンドで収入を得られる状態にしておく必要がありました。 

 独立勢力を全て制圧されて行き場を失った頼朝軍団が奥州藤原氏に襲い掛かります。かなり頑張っていた様子ですが、これだけの軍団に攻められては長くは持たずついに陥落。いよいよ頼朝と二人だけとなりました。 

 金10000×2回の献上で友好関係は盤石なものとなります。月々の低下度も微々たるものですが、たまに朝廷が政権を持っている武家に対して不信感を振りまくことがあります。それをやられると一気に有効度が下がり面倒なことになります。

 態勢も整って、官位ももらえるようになったので以前から相当邪魔だった周防、厳島に攻めかかります。ここを守備していた範頼ら主力軍は奥州藤原氏征伐のため移動していったので大した抵抗もなくこれを陥落させることに成功しました。当然頼朝との関係は0になってしまったので一から関係修復となります。 

 攻める→制圧→関係修復で少しずつ京へ迫っていきます。しかしこのやり方だと金が大量に必要となるのでそれを賄えるだけの国力が必要となります。厳島・周防で獲得した武将を歓待して味方に引き込んだり、暇があれば内政に力を入れるというコツコツした作業が必要でした。 

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■京侵攻戦 1189年1月~10月

 制圧→関係修復を続け、いよいよ近畿制圧に取り掛かることとなりました。敵の守りも強固なものとなり一筋縄では攻略できそうにもありません。
 攻めるのであれば一気に落とす覚悟でないと面倒なことになりそうです。
 いよいよ福原、京、丹波の制圧にかかる。皆の者、ここが正念場だ。これを成功させれば我々の未来は明るい。
 頼朝めの軍団が国府の外に陣を張って待ち構えておりまする。友好関係であるとは言え敵もいずれ戦う相手ということを認識しているのでしょう。
 あの陣を突破しなければ国府の制圧はできません。軍団を複数編成して囲むのがよろしいかと。一応国府への道は通過させてもらえるようですが油断はなりません。
 相わかった。友好関係を逆手にとって静かに包囲をかけよう。丹波、福原を制圧後、外交にて和睦を図り、態勢が整ったところで京を包囲、制圧する!!


 頼朝も感付いているのか、拠点上に編成した軍団を配置して一回の戦闘で拠点が制圧できないようにしてきました。どんなに兵力があっても一回の戦闘に参加できるのは一部という弱点をフォローする手なのでしょう。
 こちらも友好関係であれば敵拠点をスルーできるという弱点を利用しさせてもらいます。赤の矢印軍団を丹波背後に進め包囲。軍団撃破→拠点攻撃という流れで制圧していきます。

 丹波の制圧は比較的楽勝でしたが、一気に福原も制圧しなければ後に控える頼朝の軍団との泥沼の戦いが待っているので気を緩められません。 

 福原での戦闘で面倒だったのは源行家。動員兵力が多い上、地味に武力が高い。ギリギリで勝てましたが、合戦前に源有綱を倒して勢い付いていなければ敗北していたかもしれません。平氏の動員兵は訓練できないため正面から戦うと弱いのがネックです。 

 丹波と福原制圧後に友好関係を高めて和睦しつつ京侵攻の準備を整えます。京の大将は工藤行光で大したことはありませんが、それを守る平頼盛が非常に危険な存在です。平氏でありながら源氏に味方する不届者。その他にも官位を持っている武将もおり、おまけに動員兵の訓練度が高い。
 こちらも作れるだけ軍団を作り京を包囲。こちらの主力軍との合戦前に少しでも頼盛の動員兵を削っておこうと切り込み役の軍団を当てつけました。最終的には頼盛を射殺したことで総崩れとなって勝利することができましたが、この戦いでは多くの武将が敗れて散り散りになりました。
 

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■京防衛戦 1189年2月~1190年10月

 京を制圧しましたが、平頼盛の撃破に手間取ったため武将と兵力を消耗し切っていました。平泉から軍団が向かっている様子でしたので一旦和睦も考えましたが態勢を立て直すのが間に合いそうなので全面戦争に突入することにしました。
 京を制圧した。頼朝の主力軍が平泉からこちらへと向かっていると聞くが我々はこれに対抗できるだろうか。できないようであれば再び和睦をするか。皆の意見を聞きたい。
 丹波、福原に兵が結集しております。それらを含めると15万程度の兵力になります。加えて各将も官位受領によって動員兵も確保できております。
 ならば和睦など最早必要ありませぬ。ここは一気に全面的に勝負いたしましょうぞ。一騎当千の教経殿を始め多くの猛将がおります故今ならば圧倒できると思われまする。
 では京、丹波で敵を迎え撃ち、福原に支援部隊を控えさせましょう。頼朝殿を倒す日も近いですな。


 京を制圧して、一旦は友好関係を高めようと思いましたが、兵力を見ると引けを取らないと思われたので一か八かですが全面戦争に突入することにしました。平泉から軍団が向かっているのが分かっています。数ヶ月後にはこれら主力軍との戦いが展開されるでしょう。次から次へやってくる軍団を効率良く倒さなければ味方に損害が出ます。

 ついに交戦開始。初戦は丹波国府での戦いです。いざ戦闘になると…、あれ雑兵が少ない…。どうやら長旅で次々に脱落していったようです。合戦前に無謀な一騎打ちの申し込みがあったので平教経を出してこれを倒し、さらに勢い付きます。大将が動員兵の少ない教盛だったため、この後大将が狙われ、ヒヤヒヤした展開となりましたが何とか勝ちました。

 翌月、再び丹波国府での戦いです。こちらも先ほどと同様で消耗しきっている軍団だったのであっさりと勝利してしまいました。大将の範頼は合戦中に射殺されてしまいました。 

 まだまだ軍団がいますが、京と丹波の軍団で次々と撃破していきます。とにかく軍団が消耗しきっているので相手にならない状態でした。この後、興福寺からも軍団が編成されて攻めてきましたがこれもあっさり撃破しました。 

 これが興福寺の軍団との戦闘。後藤実基以外は大したことありません。実基以外を撃破した後、一気に大将・実基に攻めかかります。この後、京の兵力に余力があったので軍を編成して興福寺に攻め込み制圧に成功しました。 


 1190年10月、頼朝の主力軍を撃破し興福寺も制圧。西日本を手中に収め、その物量を以て攻めれば鎌倉の頼朝が滅ぶのも時間の問題でしょう。条件を全てクリアしたのでプレイレポートを終了します。カギは「友好関係」というところでしょうか。 

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