■西国奪回戦 1183年7月 |
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タイトルにあるようにゲーム開始翌月には官位剥奪が待っております。そのため開始月の動きが大変重要になってくるでしょう。
周辺国を制圧と同時に、朝廷との関係を修復して剥奪後に再び任官してもらえるよう体制を整えておきます。 |
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父上が亡くなって以降、我らは敗戦続きじゃ。今は都を追われこの様じゃ。皆の者これでは面目が立たんぞ。いかがいたす!?
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情報に拠りますと、さらに悪いことに義仲めが我らの官位を剥奪しようと画策しております。朝廷との関係が冷え切っている今、やつらはすんなりとそれを受け入れるでしょう。来月あたりにでも沙汰があるのでは。 |
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こうなれば官位が剥奪される前に暴れるやりましょうぞ。さすればその後官位が剥奪されたとしてもしばらくは他の勢力を圧倒することができるはず。 |
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一応朝廷との関係も修復しておきましょうぞ。さすれば義仲めに訴えを退けてくれるやもしれません。幸い我らには今だ個人的に朝廷との関係を持っている者もおりまする。 |
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今月が勝負ですな。できる限りのことをして来月を迎えましょうぞ。 |
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翌月には官位剥奪が待っていますので、それまでに可能な限り勢力を広げておこうという作戦です。そうすることで剥奪後もしばらく敵を沈黙させることができるからです。標的は伊予・河野氏、豊後・緒方氏、備中・義仲です。
この侵攻と同時に朝廷との関係の修復を行います。 |
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上はスタート開始時の勢力図。義仲がだいぶ勢力を拡大していますが、寄せ集めの軍隊なので、真の強敵は頼朝なんですよね。 |
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動員兵力が圧倒的なので作戦も立てず突っ込むだけで滅んでいきます。腐っても鯛とはこのことなのでしょうか。緒方氏、河野氏、義仲領備中国を制圧しました。また、一門の数人を解雇して「うちとは無関係」ということで官位剥奪を免れないかと考えました。敵に登用されたら面倒ですが。とりあえずやれることはやって運命の翌月を迎えます。 |
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しかし、翌月になっても何も起こりません。何故だ?考えられる理由としては画像のように朝廷関係を100にしたことでしょぅか。いずれにしてもこれで京の奪還が早まることになりました。 |
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■京奪回戦 1183年8月~10月 |
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ゲーム開始直後の官位剥奪が無かったため、圧倒的な動員兵力のまま京奪還に臨むこととなりました。対して義仲は官位を与えられている武将は僅かなので恐らく数か月の内に完了することと思われます。 |
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官位剥奪は無かったな。これも朝廷関係を修復したことが良かったのであろう。これで京の奪還も早まるというもの。
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とは言えまだまだ侮れませんぞ。西国の兵を播磨・福原攻めに集中させて一気に制圧いたしましょう。 |
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このまま行けば約三か月後には京を取り戻せましょう。では早速出陣の用意を!! |
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ゲーム開始の翌月である8月、備中から播磨を攻めました。大した抵抗がなく一瞬で殲滅…。というかこの動員兵力の差のお陰というところでしょう。武力が劣っていてもゴリ押しです。
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義仲勢で厄介なのは官位を持っている源行家ですが、これも福原で撃破。敵もなりふり構わない様子で無謀にも一騎打ちを挑んだりしてきますが、景清を差し向けてこれに反撃。このパターンで何人かの武将を生け捕ることに成功しました。福原攻略までに義仲四天王のほとんどを捕えることに成功し大きく戦力を削ぎました。 |
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9月の勢力図。京まで後一歩のところまで迫っております。戦力が半減したためか、頼朝が漁夫の利を狙って畠山重忠軍を京へ差し向けてきました。取られると面倒なので急がないといけません。 |
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10月、ついに京へ侵攻。戦いに次ぐ戦いでさすがに動員兵が少なくなっていましたが、まだまだ力押しは可能ということで作戦を立てず突っ込みます。意外と粘っていましたがそれも時間の問題で、義仲を捕えることに成功。当然首を切ります。跡は中原兼遠が継ぎました。 |
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京の制圧に成功。気付いてみれば天下の半分を勢力下に置いていました。官位剥奪が無かったお陰であっという間に終了条件をクリアすることができました。 |
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