■越後攻略戦 1180年 |
|
 |
ゲーム開始しましたが、西からは平清盛が、東からは源頼朝や独立勢力がひしめきあっています。木曽谷ではいずれ撃破されてしまうことは明白。どこかじっくりと腰を据えて戦える「安住の地」が必要と考えました。東海道では頼朝が清盛とやりあうと思われるので、その隙に北陸方面から攻めるのが良いと思われますが。 |
|
 |
木曽谷ではいずれ平家の者たちが攻め寄せて滅ぼされてしまうだろう。そうならない為にも拠点の移動はせねばなるまい。東海道は平家と頼朝が争うであろうから、敢えてここに首を出す必要もあるまい。
越後の城氏を攻めて上洛の足掛かりにしようと思うがどうであろうか。意見を聞きたい。
|
 |
御意にござりまする。
ただ、越中の守りは固く容易に攻め落とすのは不可能かと。ここは平泉を秀衡めの手から奪うのが手かと存じまする。財を成し朝廷より官位を頂き、動員兵力を高めるのが良いかと。 |
 |
住み慣れた木曽の地を離れるのは寂しゅうございまするが、事態は一刻の猶予も無い状況でござる。
聞くところによると、越後の地には殿の叔父上である行家殿と、常陸から落ち延びた志太義広殿が在野におられるようですが。 |
 |
行家殿と、常陸から落ち延びた志太義広殿が味方になられたらこちらの戦力は倍増いたしまする。
殿、越後の城が守りを固めぬ内に攻め落としましょうぞ。 |
 |
越後攻めの前に木曽谷にいる勇猛果敢な者どもを召し抱えましょうぞ。官位がありませぬが、いずれは戦場にて活躍が期待できる者たちがたくさんおりまする。 |
|
|
 |
越後攻略の前に木曽谷の在野武将たちを全て召し抱えることにしました。
現在は官位は何も無いため即戦力とはならないですが、いずれ官位をもらった時に活躍できそうな人材がたくさんいます。
史実でも義仲に従った武将たちがほとんどですので金をかけずとも仲間に引き入れることが可能でした。画像のようにあっとう間に17人の武将となりました。かなり強い。 |
 |
越後の城資長との戦いはかなりギリギリ感のある戦いとなりました。動員兵力は互角だったのですが、雑兵の差で勝ったという感じ。
所詮雑兵なのであっという間に消耗してしまい、最終的には動員兵同士の戦いとなりました。前半で雑兵を使い、敵兵力の動員兵を削れたことが勝因となりました。
戦後処理ですが、全員が仲間にならず牢へ放り込む結果に。 |
 |
越後には源行家と志太義広が在野として存在していました。行家は動員兵力が2000人、義広は動員兵力が1200人と序盤では心強い存在。史実でも義仲と共同で戦った仲ですから登用はそれほど難しいものではありませんでした。
問題は武力が低いこと。行家はアイテムで何とかなるレベルですが、義広は40代と相当低いので本当に序盤でのみ活躍する感じになりそうです。 |
トップへ戻る
|
■平泉攻略戦 1181年 |
|
 |
儂は蔵人の位であるからにして、そなた達より動員兵を多く従えることができるのじゃ。さらに常陸の志太義広殿も加わった。共に源氏の天下を目指そうぞ。ただ平家の勢いは強い。やはり秀衡めを倒して我らがものにしようぞ。
|
 |
叔父上、出羽は簡単に攻略できそうですが問題は平泉。物見によりますると秀衡は多くの動員兵を従えている様子。通常の攻めではそう簡単に落ちると思いませぬが…。
(叔父上の言動はいずれ裏切る兆候か?) |
 |
左様。ただし雑兵はこちらが多い。また武将の数も優っている。三軍を編成し間髪入れず攻め込むしかなかろう。引き分けになるとその軍団が邪魔で攻められぬ故、全滅まで戦ってもらう。これならば義仲殿の本隊で最終的に叩けよう。これは総力戦だな。 |
 |
討死する将も出てくるかもしれぬか…。しかし待っていても滅ぼされるだけ…。ならばこれに賭けるしかないか。
これに勝てれば朝廷から官位をもらって皆に与えようぞ。 |
 |
そうと決まれば出陣ですな。平家の勢力が日に日に強まっているようで東海道では頼朝が劣勢に立たされています。奴が持ちこたえている内に急ぎましょうぞ。 |
|
|
 |
東海道では源頼朝と清盛の跡を継いだ平教盛が争っていましたが、次第に頼朝が劣性となり風前の灯状態になっておりました。関東地区を制圧されるのも時間の問題です。これでは平泉を制圧したとしても、戦いの準備が整わず負けてしまう可能性が高い。かなり心配です。 |
 |
さらに悪いことは重なるもので、平泉攻略中に九州・四国の独立勢力が全て制圧されてしまったのです。これで全兵力が東に向けて流れ始めてしまう…。 |
|
|
 |
出羽はあっさり攻略。配下は全員牢へぶち込みました。
三軍で波状攻撃をかける準備が整ったので攻勢をかけることにしました。先鋒の三軍はあっさりと撃破。ただし藤原泰衡、大河兼任は撃破したので良かったとします。ここまでは想定内。続いて二軍が挑みます。恐らく国衡が出撃すると予測したので一騎打ちは止めておきました。
予想通り由利八郎や国衡ら主力軍で出てきましたが、こちらも負けず劣らずの将ばかりだったので互角の戦いができました。最後は秀衡と義広の一騎打ちとなりましたが秀衡とは兵力差、武力差が圧倒的で動員兵を削ることができず敗北。あげくの果てに義広が討死してしまいました。 |
|
 |
いよいよ一軍、義仲本隊の出撃です。秀衡以外は雑魚でしたが、秀衡が異常に強い。今井兼平や巴などが次々に撃破されていきました。義仲本隊も前進し過ぎたため動員兵を多く失っております。
頼みの綱であった行家が善戦しましたが撃破され、残りは雑兵と義仲本隊のみとなり秀衡に戦いを挑みます。ある瞬間より秀衡の兵が減り始めたので見てみると士気が大幅に低下していました。
義仲本隊と僅かな雑兵を残しての勝利となりました。ここに平泉の攻略が完了したのです。しかし相当な痛手を被ったのですぐさま建て直しをしなければなりません。果たして平家侵攻に間に合うのか…。 |
トップへ戻る
|
■京上洛戦 1183年~1184年 |
|