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源平合戦は現・株式会社コーエーテクモゲームスの商品です。
 トップメニュー>プレイレポート>シナリオ1 木曽殿の天下統一
 
 

 今回のプレイレポートでは難しいとされるシナリオ1の源義仲、難易度上級を採り上げてみました。

 ◎プレイレポート終了条件 ①全国の三分の二以上を制圧。
②敵勢力の主力軍を撃破。

■越後攻略戦 1180年

 ゲーム開始しましたが、西からは平清盛が、東からは源頼朝や独立勢力がひしめきあっています。木曽谷ではいずれ撃破されてしまうことは明白。どこかじっくりと腰を据えて戦える「安住の地」が必要と考えました。東海道では頼朝が清盛とやりあうと思われるので、その隙に北陸方面から攻めるのが良いと思われますが。

 木曽谷ではいずれ平家の者たちが攻め寄せて滅ぼされてしまうだろう。そうならない為にも拠点の移動はせねばなるまい。東海道は平家と頼朝が争うであろうから、敢えてここに首を出す必要もあるまい。
 越後の城氏を攻めて上洛の足掛かりにしようと思うがどうであろうか。意見を聞きたい。
 御意にござりまする。
 ただ、越中の守りは固く容易に攻め落とすのは不可能かと。ここは平泉を秀衡めの手から奪うのが手かと存じまする。財を成し朝廷より官位を頂き、動員兵力を高めるのが良いかと。
 住み慣れた木曽の地を離れるのは寂しゅうございまするが、事態は一刻の猶予も無い状況でござる。
 聞くところによると、越後の地には殿の叔父上である行家殿と、常陸から落ち延びた志太義広殿が在野におられるようですが。
 行家殿と、常陸から落ち延びた志太義広殿が味方になられたらこちらの戦力は倍増いたしまする。
 殿、越後の城が守りを固めぬ内に攻め落としましょうぞ。
 越後攻めの前に木曽谷にいる勇猛果敢な者どもを召し抱えましょうぞ。官位がありませぬが、いずれは戦場にて活躍が期待できる者たちがたくさんおりまする。

 越後攻略の前に木曽谷の在野武将たちを全て召し抱えることにしました。
 現在は官位は何も無いため即戦力とはならないですが、いずれ官位をもらった時に活躍できそうな人材がたくさんいます。
 史実でも義仲に従った武将たちがほとんどですので金をかけずとも仲間に引き入れることが可能でした。画像のようにあっとう間に17人の武将となりました。かなり強い。
 

 越後の城資長との戦いはかなりギリギリ感のある戦いとなりました。動員兵力は互角だったのですが、雑兵の差で勝ったという感じ。
 所詮雑兵なのであっという間に消耗してしまい、最終的には動員兵同士の戦いとなりました。前半で雑兵を使い、敵兵力の動員兵を削れたことが勝因となりました。
 戦後処理ですが、全員が仲間にならず牢へ放り込む結果に。
 

 越後には源行家と志太義広が在野として存在していました。行家は動員兵力が2000人、義広は動員兵力が1200人と序盤では心強い存在。史実でも義仲と共同で戦った仲ですから登用はそれほど難しいものではありませんでした。
 問題は武力が低いこと。行家はアイテムで何とかなるレベルですが、義広は40代と相当低いので本当に序盤でのみ活躍する感じになりそうです。
 

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■平泉攻略戦 1181年

 儂は蔵人の位であるからにして、そなた達より動員兵を多く従えることができるのじゃ。さらに常陸の志太義広殿も加わった。共に源氏の天下を目指そうぞ。ただ平家の勢いは強い。やはり秀衡めを倒して我らがものにしようぞ。
 叔父上、出羽は簡単に攻略できそうですが問題は平泉。物見によりますると秀衡は多くの動員兵を従えている様子。通常の攻めではそう簡単に落ちると思いませぬが…。
 (叔父上の言動はいずれ裏切る兆候か?)
 左様。ただし雑兵はこちらが多い。また武将の数も優っている。三軍を編成し間髪入れず攻め込むしかなかろう。引き分けになるとその軍団が邪魔で攻められぬ故、全滅まで戦ってもらう。これならば義仲殿の本隊で最終的に叩けよう。これは総力戦だな。
 討死する将も出てくるかもしれぬか…。しかし待っていても滅ぼされるだけ…。ならばこれに賭けるしかないか。
 これに勝てれば朝廷から官位をもらって皆に与えようぞ。
 そうと決まれば出陣ですな。平家の勢力が日に日に強まっているようで東海道では頼朝が劣勢に立たされています。奴が持ちこたえている内に急ぎましょうぞ。

 東海道では源頼朝と清盛の跡を継いだ平教盛が争っていましたが、次第に頼朝が劣性となり風前の灯状態になっておりました。関東地区を制圧されるのも時間の問題です。これでは平泉を制圧したとしても、戦いの準備が整わず負けてしまう可能性が高い。かなり心配です。 
 さらに悪いことは重なるもので、平泉攻略中に九州・四国の独立勢力が全て制圧されてしまったのです。これで全兵力が東に向けて流れ始めてしまう…。

 出羽はあっさり攻略。配下は全員牢へぶち込みました。
 三軍で波状攻撃をかける準備が整ったので攻勢をかけることにしました。先鋒の三軍はあっさりと撃破。ただし藤原泰衡、大河兼任は撃破したので良かったとします。ここまでは想定内。続いて二軍が挑みます。恐らく国衡が出撃すると予測したので一騎打ちは止めておきました。
 予想通り由利八郎や国衡ら主力軍で出てきましたが、こちらも負けず劣らずの将ばかりだったので互角の戦いができました。最後は秀衡と義広の一騎打ちとなりましたが秀衡とは兵力差、武力差が圧倒的で動員兵を削ることができず敗北。あげくの果てに
義広が討死してしまいました。

 いよいよ一軍、義仲本隊の出撃です。秀衡以外は雑魚でしたが、秀衡が異常に強い。今井兼平や巴などが次々に撃破されていきました。義仲本隊も前進し過ぎたため動員兵を多く失っております。
 頼みの綱であった行家が善戦しましたが撃破され、残りは雑兵と義仲本隊のみとなり秀衡に戦いを挑みます。ある瞬間より秀衡の兵が減り始めたので見てみると士気が大幅に低下していました。
 義仲本隊と僅かな雑兵を残しての勝利となりました。ここに平泉の攻略が完了したのです。しかし相当な痛手を被ったのですぐさま建て直しをしなければなりません。果たして平家侵攻に間に合うのか…。

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■京上洛戦 1183年~1184年

 平泉を拠点とすることができました。しかし平家の軍団が勢いを増しており、平泉に迫るのも時間の問題となっています。さらに平泉攻略戦での消耗が激しく立て直すのに時間がかかってしまいました。また越後、木曽谷も平家のものとなっています。
 1183年、ついに頼朝が滅ぼされてしまいました。残るは独立勢力である足利氏、佐竹氏のみ。大した戦力が期待できないと思われた矢先、ついに朝廷が動き出しました。両勢力の棟梁に官位を与えた上、朝廷の武将を派遣してきたのです。
 しかし所詮は元・独立勢力、大したことはないと思われたのですがこれが意外と善戦。武力が低い武将ばかり派遣されていますがこの動員兵力はハンパではないですね。これでしばらくは足止めできそうです。佐竹氏らがこちらに向かってこないかは心配ですが。
 こちらも負けじと朝廷関係を修復して官位をもらい始めていました。一応は平家と渡り合える動員兵力を有すようになりました。

 朝廷より官位を授かって動員兵を多く有することができた。しかしこれだけでは平家の侵攻を食い止めることはできん。現在佐竹や足利が食い止めているようだがこれも時間の問題だろう。さてどうしたものか。
 調べたところに拠りますと、平家主力軍は佐竹、足利らを叩くために関東に集中している模様。直接戦闘は佐竹らに任せて我らは迂回すれば、後方ほ手中に収めることができるかと。
 なるほど北陸から攻めるのですな。ただし越中はまだ盛嗣らがいるため打ち破るのは難しいかと。さすれば越後から故郷木曽谷を奪い返し尾張、美濃を攻略するのがよろしいでしょう。
 となれば上京も夢ではありませんな。平家の棟梁教盛は恐らく京周辺のどこかにいるかと。上京ついでに打ち破ってしまいましょう。
 現在都は福原ですが、京を押さえることはかなりの動揺を与えるでしょう。
 関東に展開している平家主力軍が気付いてしまったらおしまいですな。後は運が味方してくれることを祈りましょう。

 佐竹氏、足利氏が関東周辺で平家と拠点を取る取られるの混戦状態を展開している様子。密偵を放ってみると次々と武将を関東方面へ移動させているようなので、出羽からしれーっと越後に侵攻。これを奪取することに成功しました。越中の軍が怖いのである程度の兵を残しすぐさま木曽谷を攻めますが、これも意外とあっさりと攻略。勢いに乗って尾張、伊勢まで進撃してしまいました。敵の残した金と米ですぐさま雑兵を雇い進撃。京は目の前です!
 一方関東周辺では佐竹氏が滅ぼされ、足利氏も風前の灯火状態。
 京の前に寄り道(侵攻)した興福寺に平家の棟梁、平教盛がいました。平家の力を削るために首を切ります。残念ですが仕方ありません。教盛の跡を平忠度が継いだようです。これも官位が高くなかなかの武将。倒すのが厄介でしょう。この後、然したる抵抗もなく京を制圧することに成功しました。

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■天下平定戦 1185年~1186年

 京を制圧はしたものの、天下第一の勢力は今だに平家。そのため守りが手薄な西国を制圧して逆転することにしました。加えてそれら国々に蓄えられている物資を根こそぎ奪い、朝廷から官位をもらったり、商人から逸品を買うために使おうと思います。
 そして力を蓄えた後に平忠度を倒し平家を没落させます。
 京を制圧することができた。皆のお陰だ。さていよいよ教盛の跡を継いだ忠度を倒し平家を没落させてしまおう。しかし、今だ朝廷は平家の言いなりだ。さて、どうしたものか。
 天下の領土の多くは平家のものであるからでございましょう。朝廷に我らの力を示すため平家の西領土を奪ってはいかがでしょうか。
 情報に拠ると守りはかなり手薄な様子です。これら領土の物資を奪い勢力拡大に使いましょうぞ。
 形勢が逆転すれば朝廷が平家の味方をする恐れがあります。しかし天下に号令する以上は仕方のないことかもしれません。朝廷は武士を手足のように使おうとしているのですから。
 平家棟梁、忠度は恐らく東海地域にいる模様。奴は官位が高く動員兵力が多いので我らが追いつくのには時間がかかると思われます。かつての平泉の戦いのように波状攻撃を仕掛けてはいかがでしょうか。
 うむ、皆の者の考え分かった。西国を制圧し、蓄えられている金品で朝廷から官位をもらう。その後忠度に最終決戦を挑むことにしよう。
 皆最後の戦いが近付いておる。よろしく頼むぞ。
 1185年からいよいよ西国へ侵攻しました。これら地域の武将は全て関東へ移動していると思われるので兵力を裂かずに侵攻しても良いと思いましたが、何かあってはいけないので一応完全な軍団を作り上げて侵攻しました。多少なり対抗はありましたが次々に制圧することができました。その後に優雅が高い武将を送り込み官位を次々に高めていくことができました。ただ上の官位が詰まっているのか飛躍的に上がることありません。やはり捕虜にしている武将の首を切らなければいけないのか…。
 画像では足利氏が消滅していますが、やはり平家との戦力差に押され滅んでしまいました。
 平家に然したる動きもなく時間が過ぎましたが、突如越中の平家軍が動き出し手薄だった越前、美濃を制圧。さらに京へ侵攻されこれも制圧される失態を犯してしまいました。これにより多くの武将が散り散りになり戦力半減。歓待コマンドで忠誠度を下げていた捕虜たちも奪われてしまいました。すぐさま2軍団を編成してこれを殲滅。しかし一旦散り散りになった武将はなかなか戻ってきません。
 残った兵力を遠江に集結。2軍団を編成していよいよ最終決戦に挑みます。
 まずは藤原国衡が率いる2軍が攻め込みます。武力の高いの武将がいないと思っていたので一騎打ちに大将・国衡を出したところ、平家最強の平教経がこれに応じるという展開に…。武力差が1だったのでハラハラした展開でしたが何とか倒すことに成功しました。いや~事前の情報収集は大切ですな。
 やはり動員兵力の差が出てしまい全滅してしまいました。全員捕虜となった様子ですが…。
 義仲が率いる本隊がすぐに攻めればよかったのですが、軍団の再編成をするという手間を取ってしまい翌月に侵攻となってしまいました。
 しかし先月に戦力を大幅に削っていたので最早敵ではありません。一気に攻め棟梁・忠度を生け捕りました
 戦後処理では当然棟梁・忠度の首を切ります。跡を平重衡が継ぎましたが主だった武将は全て捕虜としているので、平家にかつての勢いは見られません。後は力づくで攻めれば滅ぶことは必至です。
 最初の勝利通りとなったのでここでプレイを終了します。最終的な勢力図は上の通り。まだまだ関東周辺に平家が陣取っていますが張子の虎状態です。

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