■数奇な運命を辿った清盛の曾孫
平維盛の長男で高清という。維盛の子で清盛の曾孫となる。母親は建春門院新大納言。六代という名で通っているのは平家の礎を築いた平正盛から数えて六代目に当たるところからである。六代御前と記述されることもある。
平家の都落ちについて行かず母親たちと共に京に隠れ住んでいた。1185年壇ノ浦の戦いの後、京では平氏の血を引く子どもたちの捜索が行われており、見つけた者には褒美を出すとされていたので血眼になって探されていた。褒美目当てで次々と子どもたちが捕えられ殺されていった。この六代も例外に漏れず女房(側仕えの女)に密告され、北条時政に捕えられ、母と離れ離れになった。この時、六代は12歳であったが大人びて見えたという。母親と離れ離れになること、六代が母親を思いやる様子を見て側仕えの者や頼朝方の人間までが涙したという。
処刑される予定であったが、母親の願いを聞いた文覚が頼朝に助命嘆願をし、処刑直前に止めることができた。以後は文覚の下で暮らすこととなった。処刑を免れたのは再婚した母親や文覚の存在によるところが大きい。
1199年、六代が庇護を受けていた文覚が三左衛門事件に加担したことで六代も巻き込まれる形で捕えられ斬首された。神奈川県逗子市桜山に平六代の墓がある。この六代の死によって清盛直系の子孫は絶えた。 |